HISTORY File 010番狂わせ

番狂わせ
番狂わせ

「競馬に絶対はない」と言われている。レースでは、何が起こるかわからない。同じメンバーで10回走ったとして、1回起こるかどうかといった結果が現実となることもある。そうした予想外の「番狂わせ」になったからこそ、記録にも記憶にも残る一戦として語り継がれる名レースもある。

第1章

世界に肩を並べた逃走劇
(1984年 第4回ジャパンカップ)

「世界に通用する強い馬づくり」をスローガンに、1981年、国際招待競走のジャパンカップが創設された。当初、日本馬は外国馬にまったく歯が立たなかった。第1回は、G1勝ちのなかったアメリカの牝馬メアジードーツがレコード勝ちし、日本馬の最高着順は5着。第2回も日本馬は5着が最高だった。しかし、第3回でキョウエイプロミスがアタマ差の2着に迫ると、翌年、大番狂わせによって新たな歴史が始まる。

1984年11月25日、日本馬4頭と外国馬10頭の計14頭が出走した第4回ジャパンカップ。1番人気に支持されたのは、前年、史上3頭目のクラシック三冠馬となり、前走の天皇賞(秋)を勝ったミスターシービー。2番人気と3番人気は外国馬。さらに、この年に無敗のクラシック三冠馬となったシンボリルドルフも出走しており、このレースは「史上初の三冠馬対決」としても注目されていた。シンボリルドルフは、菊花賞から中1週と厳しい日程だったこともあり、4番人気の支持だった。

ゲートが開いた。10番人気のカツラギエースがスタンド前で先頭に立ち、単騎逃げの形で1、2コーナーを回って行く。快調に飛ばすカツラギエースは、向正面で2番手との差を10馬身ほどにひろげていた。西浦勝一騎手の長手綱に操られたカツラギエースは、見た目こそ後ろを離した「大逃げ」だったが、絶妙のペース配分で、前半1000m通過61秒6というスローペースに落としていた。そのまま脚をため、先頭をキープしたまま直線へ。後続が来るのを待って追い出すと、どの馬にも捉えられることなく鮮やかに逃げ切った。単勝40.6倍という伏兵が、「世界戦」で頂点に立ったのだ。1馬身半差の2着はイギリスのベッドタイム、3着はシンボリルドルフ。ミスターシービーは後方のまま10着に終わった。

カツラギエースはその年の宝塚記念も制していた実力馬だった。ジャパンカップでの勝利は、日本の一流馬が「ホーム」で得意の形に持ち込めば、世界の強豪と互角以上に戦えることを証明した。長らく「世界の壁」に阻まれてきた日本競馬に、一筋の光が差し込んだ瞬間だった。

第2章

ファンの評価を見返す
大外一気
(2001年天皇賞(秋))

米国産のアグネスデジタルは、早くから芝とダートの両方に出走していた。1999年に全日本3歳優駿、翌2000年に名古屋優駿を勝ち、ユニコーンSでJRA重賞初勝利をマーク。芝では勝ち切れずにいたのだが、同年のマイルチャンピオンシップを後方一気の競馬で優勝。芝での初勝利をGⅠ制覇で飾るという離れ業をやってのけた。

翌2001年、地方交流重賞の日本テレビ盃とマイルチャンピオンシップ南部杯を連勝。次走は連覇のかかるマイルチャンピオンシップかと思われたが、天皇賞(秋)に進むことを表明した。当時、天皇賞(秋)に出走可能な外国産馬は2頭。獲得賞金順で、同年の宝塚記念で悲願の初GⅠ制覇を遂げたメイショウドトウと、この年のNHKマイルカップを勝った3歳馬クロフネだと思われていたのだが、アグネスデジタルがクロフネの獲得賞金を上回ったことで出走可能となった。クロフネはファンの間で「最強世代」の一つといわれる2001年の3歳世代であり、無敗の皐月賞馬アグネスタキオン、ダービー馬ジャングルポケットらと並び称せられる強豪だった。そのため、主にダートで結果を出してきたアグネスデジタルの出走は物議を醸したが、大方の予想を覆す結末が待っていた。

第124回天皇賞(秋)で1番人気に支持されたのは、前年の年度代表馬テイエムオペラオーだった。2番人気のメイショウドトウ、3番人気のステイゴールドまでが単勝10倍以下。アグネスデジタルはそれらに次ぐ4番人気だったが、単勝20倍というダークホースの評価だった。

降りしきる雨のなか、13頭の出走馬が重馬場の芝コースに飛び出した。逃げると思われていたサイレントハンターが出遅れたことで、好スタートを決めたメイショウドトウが逃げる展開に。最後の直線、逃げるメイショウドトウをテイエムオペラオーがかわして先頭に立ち、この2頭で決まりかと思われた次の瞬間、大外から一頭の栗毛馬が凄まじい脚で伸びてきて、差し切った。それがアグネスデジタルだった。場内に歓声とざわめきが満ちた。そのざわめきは、番狂わせに対する驚きや、アグネスデジタルを過小評価したことへの後悔など、さまざまな感情がこもったものだったように思える。

アグネスデジタルは翌2002年のフェブラリーSを勝ち、芝・ダート両方のJRA・GⅠ制覇を遂げる。かくして芝・ダートの“二刀流”は、競馬史にその名を刻むこととなった。

第3章

牡馬を一蹴した
歴史的勝利(2015年 第16回チャンピオンズ
カップ)

スピードよりもパワーがものをいうダート戦では、牡馬の勝率が高くなる傾向にある。そうした中、サンビスタは、牝馬限定の地方交流重賞で勝鞍を重ねながら、5歳だった2014年のチャンピオンズカップで4着、翌2015年のフェブラリーステークスで7着、地方交流GⅠのかしわ記念で5着になるなど、牡馬相手に健闘を続けていた。

それでも、前年に続く挑戦となった2015年12月6日の第16回チャンピオンズカップでは、単勝66.4倍の12番人気という評価に甘んじた。

フルゲートの16頭がスタートした。1番人気のコパノリッキーが引っ張る形で、1000m通過60秒2と、前年より2秒1も速くなった。初コンビとなったミルコ・デムーロ騎手が手綱をとったサンビスタは好位の内を抜群の手応えで進む。

最後の直線、逃げるコパノリッキーが突き放しにかかり、ホッコータルマエが追いすがる。2頭の競り合いになるかと思われたが、ラスト200m地点で馬群から抜け出したサンビスタが、並ぶ間もなくコパノリッキーとホッコータルマエをかわして先頭に躍り出た。そのまま後続を寄せつけず、1馬身半差で完勝。牝馬によるJRAダートGⅠ初制覇という快挙をなし遂げた。パワー自慢の強豪牡馬勢をねじ伏せた強さに、場内から感嘆の声が上がった。

参戦した外国馬は香港のガンピットだけだったが、日本の通年免許を取得したミルコ・デムーロ騎手を含め外国人騎手が6人も騎乗していたからか、国際競走らしい華やかな雰囲気があった。前週のジャパンカップも牝馬のショウナンパンドラが制しており、2週続けて国際競走で牝馬が一線級の牡馬勢を打ち負かす結果となった。

今なお、JRAダートGⅠを制した牝馬はサンビスタのみ。この勝利がいかに価値のあるものかおわかりいただけるだろう。

第4章

忘れられないインパクト

本命馬が圧倒的な強さで勝つレースも見応えがあっていいが、大方の予想を覆す「番狂わせ」には、大きな驚きの伴った痛快なインパクトがあり、意表をつかれたからこそ忘れられない一戦となる。

ゴール後、呆然とその場に立ち尽くしてしまうような「世紀の大番狂わせ」を、ぜひまた目撃したいものだ。

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