HISTORY File 005ターフを沸かせた
名コンビ

ターフを沸かせた名コンビ
ターフを沸かせた名コンビ

「人馬一体」という言葉があるように、名馬にはパートナーとして欠かせない騎手がいる。名馬との出会いにより名手へ、名手との出会いにより名馬へと昇華していく。来年JRAは創立70周年を迎えるが、長い歴史の中で数々の名コンビが誕生してきた。名コンビは競馬ファンの気持ちをより一層熱く、高揚させ、私たちを虜にしてくれる。

第1章

シンボリルドルフ×
岡部幸雄

JRAで史上初めて通算2900勝を達成するなど、38年にも及ぶ騎手生活の中で、様々な記録を打ち立ててきた岡部幸雄元騎手。その岡部騎手に競馬を教えたとされるのが、前人未到の無敗のクラシック三冠馬となったシンボリルドルフである。

2歳時までは岡部騎手がシンボリルドルフに競馬を教えていた。芝1000mの新馬戦を芝1600mでのレース運びを意識させながら初戦を勝利で飾ると、次走の芝1600mのいちょう特別では芝2400mの競馬をするかのように、折り合いを重視する内容で勝利を果たす。

その後も連勝を重ねていく中で、シンボリルドルフは競馬に勝つことを学んでいたのかもしれない。初重賞制覇となった弥生賞に続き、クラシック第一弾の皐月賞でも、先行してから抜け出しを図る危なげないレース内容で優勝を果たした。

迎えた日本ダービー。早めに先行馬を捉えるべく、向正面からゴーサインを出した岡部騎手だったが、シンボリルドルフはその指示に反応しない。だが、直線に入ると悠然と脚を伸ばしていき、まるでタイミングを計ったかのように前を行く馬たちを交わしての完勝。レース後の岡部騎手は、「ルドルフに競馬を教えてもらった」と話した。

まさに名コンビとなった岡部騎手とシンボリルドルフは、無敗のまま菊花賞を勝利し三冠制覇。このコンビで通算16戦13勝、GⅠ勝利数は当時として史上最多の7勝という成績を残し、競馬史に名を刻んだ。

第2章

メジロライアン×
横山典弘

「メジロ」の冠名が付く馬が、日本競馬界を席捲した1990年代初頭。その時、同世代のメジロマックイーン、メジロパーマーと共に、ターフを沸かせていたのがメジロライアンだった。

メジロライアンのデビュー3戦目の未勝利戦からコンビを組んだのは、当時デビュー4年目だった横山典弘騎手。コンビを組み2戦目で初勝利をおさめ、勢いづいた当コンビは弥生賞を制してクラシック戦線に名乗りをあげる。当時「何でも俺に乗せてみろ。片っ端から全部、勝たせてやる!!」くらいの気持ちでいたという横山騎手。しかしその前に立ちはだかったのは強力なライバルたちだった。皐月賞では好位から抜け出したハクタイセイらを交わし切れずに3着。1番人気の支持を集めた日本ダービーでは、アイネスフウジンに逃げ切りを許し2着。最後の一冠となる菊花賞では、メジロ牧場時代の僚馬でもあるメジロマックイーンを捉えられずに3着と惜敗が続いた。同年の有馬記念はオグリキャップの奇跡の復活の前に2着、翌年の天皇賞(春)でも本格化したメジロマックイーンが優勝したのに対して、メジロライアンは4着とあと一歩のレースを繰り返していた。

今の時代であれば乗り替わりとなってもおかしくない状況であったが、陣営は横山騎手を乗せ続け、その悔しさを晴らしたのが宝塚記念だった。これまでのレース内容とは一変し、早めに抜け出しを図ったメジロライアンは、メジロマックイーンの追撃を振り切って悲願のGⅠ制覇を遂げた。この勝利に横山騎手は「ダービー、菊花賞、天皇賞と勝てなくて苦しかったけれど、やっとライアンでGⅠを勝てて最高の気分」と語った。今でも横山騎手はファンを驚かせる騎乗をみせているが、メジロライアンとの出会いが礎となっているのかもしれない。

現役引退後は種牡馬となり、メジロドーベルやメジロブライトといったGⅠ馬を送り出すと、その後はメジロ牧場(現在のレイクヴィラファーム)で功労馬として繋養。2016年に29歳の生涯を終えると、納骨式に参加した横山騎手は自らが建立したお墓を前にして、「今の僕が騎手でいられるのはメジロライアンがいたからこそ」と涙ながらに語った。

第3章

ナリタトップロード×
渡辺薫彦

1999年の日本ダービー。1番人気に支持されたナリタトップロードの背中には、当時デビュー6年目の渡辺薫彦騎手(現調教師)の姿があった。

ナリタトップロードは渡辺騎手に初めての重賞タイトルをもたらした馬でもあった。きさらぎ賞で人馬共に重賞初勝利をあげると、続く弥生賞ではアドマイヤベガの追撃を抑えこんで勝利をあげた。皐月賞ではテイエムオペラオーの猛追の前に3着に敗れ、日本ダービーではそのテイエムオペラオーを交わして先頭に立つも、後ろから脚を伸ばしてきたアドマイヤベガに交わされ2着。レース後、渡辺騎手は悔しさで大粒の涙を流した。

最後の一冠となる菊花賞。皐月賞と日本ダービーの悔しさを晴らすかのように、ライバル2頭よりも先に動き出したナリタトップロードは、テイエムオペラオーの猛追を振り切って、待望のGⅠ初制覇。この勝利をきっかけに、更なる飛躍が期待された渡辺騎手とナリタトップロードだったが、その後勝ちきれないレースが続いていく。

2000年の有馬記念と翌年の京都記念は的場均騎手が騎乗したが、阪神大賞典から再び渡辺騎手が手綱を取り、そのレースでは当時の芝3000mのレコードタイムで優勝。さらにその翌年の阪神大賞典も連覇するなど、渡辺騎手とのコンビで息の長い活躍を続けていった。渡辺騎手の怪我でやむなく乗り替わりとなることもあったが、引退レースとなった有馬記念では、ナリタトップロードの背中には渡辺騎手の姿があった。長きに渡り愛された名コンビとして語り継がれている。

第4章

タップダンスシチー×
佐藤哲三

1984年、日本調教馬として初めてジャパンCを逃げ切って優勝したカツラギエース。その快挙をきっかけに騎手を目指したのが、当時中学生だった佐藤哲三騎手である。それから19年後の2003年、佐藤騎手はジャパンCをタップダンスシチーと共に、その時の再現とばかりに逃げ切ってみせた。

タップダンスシチーの主戦として知られる佐藤騎手だが、意外なことに初騎乗はデビュー23戦目、5歳時の朝日チャレンジCだった。そのレースで初の重賞タイトルを手にし、以後、引退までこのコンビは継続していく。

佐藤騎手はタップダンスシチーに騎乗していく中で、その先行力を生かす騎乗を見せていく。2002年の有馬記念で13番人気ながら2着に激走。すると翌年、オープン特別、金鯱賞と勝ち星を重ねていく。宝塚記念でも3着に入り、秋には京都大賞典で逃げ切り勝ちをおさめ、トップレベルの馬であることを証明。 佐藤騎手はタップダンスシチーに騎乗していく中で、その先行力を生かす騎乗を見せていく。2002年の有馬記念で13番人気ながら2着に激走。すると翌年、オープン特別、金鯱賞と勝ち星を重ねていく。宝塚記念でも3着に入り、秋には京都大賞典で逃げ切り勝ちをおさめ、トップレベルの馬であることを証明。続くジャパンCでは先頭に立ってレースの主導権を握ると、直線では後続との差はみるみる開いていき、2着のザッツザプレンティに9馬身差を付ける圧勝。管理する佐々木晶三調教師にとっては、これが初めてのGⅠ勝利となった。翌年の宝塚記念でも3コーナー過ぎから先頭に躍り出たタップダンスシチーは、そのままゴールまで押し切って、2つ目のGⅠタイトルを手にした。

続くジャパンCでは先頭に立ってレースの主導権を握ると、直線では後続との差はみるみる開いていき、2着のザッツザプレンティに9馬身差を付ける圧勝。管理する佐々木晶三調教師にとっては、これが初めてのGⅠ勝利となった。翌年の宝塚記念でも3コーナー過ぎから先頭に躍り出たタップダンスシチーは、そのままゴールまで押し切って、2つ目のGⅠタイトルを手にした。

タップダンスシチーとのコンビで見せる佐藤騎手の自信に溢れた騎乗は、馬を信頼しているからこそ。まさに2000年代を代表する名コンビであった。

第5章

アーモンドアイ×
C.ルメール

史上5頭目となる牝馬三冠を含め、芝GⅠで歴代最多の9勝をあげたアーモンドアイ。そのすべてのGⅠレースで手綱を取ったのがC.ルメール騎手である。

フランスのトップジョッキーであり、日本でも短期免許期間中に数々のGⅠレースを勝利してきたC.ルメール騎手は2015年に日本での騎手免許を取得。2017年に外国人騎手として初めてJRA全国リーディングジョッキーに輝くなど、まさに脂が乗った時期にコンビを組んだのがアーモンドアイだった。

牝馬三冠を達成した2018年のジャパンCでは、芝2400mの世界レコードとなる2分20秒6で優勝。 C.ルメール騎手はアーモンドアイの活躍が後押しする形で、この年はGⅠを8勝、年間勝利数は過去最多の215勝をあげ、2年連続でリーディングジョッキーに輝いた。

C.ルメール騎手のもとには数々の騎乗依頼が届いたが、それでも優先したのはアーモンドアイの騎乗だった。4歳時にはドバイターフで海外G1初制覇を果たし、天皇賞(秋)も優勝。5歳時もヴィクトリアマイルで勝利をあげると、天皇賞(秋)を牝馬として初めての連覇を果たす。引退レースとなったジャパンCでは、その年の無敗の三冠馬コントレイルと、無敗の牝馬三冠馬デアリングタクトも出走してきたが、早めに先頭に躍り出たアーモンドアイは、2頭の追撃を振り切って勝利。その年の12月19日に行われた引退式でC.ルメール騎手は、「彼女の背中で味わったスリルと興奮を永遠に忘れません」と別れを告げた。

番外編

競走馬と厩務員~ゴールドシップ×今浪厩務員の絆~

「王様」と称されるほどゴールドシップは気性の激しい馬だった。「突然、立ち上がったり、暴れたりした。それがだんだんひどくなって、他の馬を威嚇したりする。特に他馬に後ろにつけられるのが嫌いで、『一発蹴ってやろうか』という雰囲気になった」と担当だった今浪隆利厩務員は振り返る。

当時、今浪厩務員が“自分の役目”として「少しでも快適に日々を過ごさせてやること」を考えていた。そのための重要なアイテムがカラフルなバスタオルだった。これを鼻前に差し出すと、うれしそうにくわえる。引っ張ったり振り回したりして遊ぶのだ。時間に制限はなく、「シップの気が済むまで相手をしてやる」。遊び終わった後、型破りなヒーローの目は穏やかになっていたという。

どんなに能力の高い馬でもレースで力を発揮できなければ輝けない。足かけ5年にもわたりコンビを組んだ今浪厩務員は、ゴールドシップにとって精神安定剤のような存在だったのだろう。「レース前、馬房でテンションがすごく上がってしまう時があった。そんな時はシップが落ち着くまでずっと顔を見合わせていたよ」。GⅠ6勝は、絆があってこそ成し遂げた偉業だった。

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