HISTORY File 002海を越えて
活躍したHERO
第1章
世界への挑戦
今や世界各国のG1レースで勝利をあげるようになった日本調教馬たち。だが、そこに至るまでの過程には度重なる敗戦と、それでも諦めなかったホースマン達の挑戦があった。
1900年代初頭から始まっていた日本調教馬の海外挑戦であるが、1959年に初めて重賞(ワシントンバースデーハンデキャップ)を制したのは、東京優駿(日本ダービー)、天皇賞(秋)、有馬記念の優勝馬ハクチカラである。
だが、その後日本調教馬たちは海外遠征に挑むも敗戦を繰り返し、1969年にスピードシンボリがヨーロッパ最高峰のレースのキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSと凱旋門賞に出走。着順こそ振るわなかったものの、現在に至る凱旋門賞挑戦への扉を開いた。
第2章
世界に通用する
強い馬づくり
こうした挑戦が契機となり、「世界に通用する強い馬づくり」の機運が高まってきた中で1981年に創設されたのが、国際招待競走のジャパンカップである。第1回ジャパンカップでは1着から4着まで全て北米の馬で、優勝したメアジードーツの勝ち時計である2分25秒3は、当時の東京競馬場芝2400mのコースレコードを1秒も更新。日本のホースマンとファンは、世界との差をまざまざと感じさせられる結果となった。
世界との差を埋めるのは困難にも思えたが、それから3年後の1984年にカツラギエースが逃げ切り勝ちを果たすと、その翌年にはシンボリルドルフが優勝。その後、シンボリルドルフはアメリカ遠征を果たしただけでなく、同時期にはシリウスシンボリとギャロップダイナもヨーロッパの遠征を行っている。結果は揮わなかったが、世界への挑戦は続いていた。
その後、遠征馬の数は少なくなるも、海外への挑戦で得た馬づくりや、ジョッキーを含めたホースマンとの交流が日本競馬のレベルを上げていった。また、1986年頃から続いたバブル経済が、生産地に潤沢な資金をもたらし、世界各国から良血馬が導入されたことも、血統レベルの底上げとなっていった。
第3章
時代が動いた
1998年
ハクチカラの勝利から36年後の1995年、香港国際カップ(現香港カップ。当時はG2)をフジヤマケンザンが優勝し、ついに海外での重賞勝ち馬が再び誕生した。その3年後の1998年には、シーキングザパールがモーリスドゲスト賞で優勝し、日本調教馬としては初めての海外G1制覇を果たした。更にその翌週にはタイキシャトルがジャックルマロワ賞で優勝し、日本調教馬がフランスで2週連続G1制覇という快挙を成し遂げた。
一気に世界の競馬との扉が開く中、凱旋門賞挑戦を目指して1999年に長期ヨーロッパ遠征を行ったのがエルコンドルパサーである。エルコンドルパサーは同年のサンクルー大賞で優勝を果たし、凱旋門賞でも2着となる活躍を見せ、これにより日本調教馬の凱旋門賞制覇が夢ではないことを証明した。また、同じ年にはアグネスワールドがフランスのアベイドロンシャン賞を制しただけでなく、さらに同馬は翌年にジュライカップを優勝。これはイギリスにおける、初めての日本調教馬の勝利ともなった。
第4章
メイドインジャパンに
よる
海外G1制覇
上記であげた海外でのG1制覇は、海外からの輸入馬によるものであったが、以降は日本生産馬のG1制覇も珍しくなくなっていく。その際に大きな役割を果たしたのが、不世出の大種牡馬であるサンデーサイレンスだった。
2001年の香港国際競走において、海外からの輸入馬であるエイシンプレストンとアグネスデジタルが、香港マイルと香港カップでそれぞれ勝利をあげる中、香港ヴァーズではサンデーサイレンス産駒のステイゴールドが優勝。これが日本生産・日本調教馬による海外G1初制覇となった。
その後、サンデーサイレンスの産駒からはハットトリックが2005年の香港マイルを、ハーツクライが2006年のドバイシーマクラシックを制した。また、その孫世代に当たるシーザリオ(父スペシャルウィーク)は、2005年のアメリカンオークスを、デルタブルース(父ダンスインザダーク)は2006年のメルボルンカップを制し、一気に日本の血統レベルを世界基準へと押し上げていった。
第5章
年々レベルを
あげていく
日本調教馬
日本調教馬の更なるレベルアップを示すかのように、海外G1の勝ち馬はサンデーサイレンスや、その後継種牡馬以外からも誕生していく。2012年にキングカメハメハ産駒のロードカナロアは、これまで多くの日本調教馬が敗れてきた香港スプリントを優勝。翌年も優勝し、史上3頭目となる同レース連覇を果たした。スクリーンヒーロー産駒のモーリスは、2015年に香港マイル、2016年にチャンピオンズマイル、香港カップを勝ち、香港G1を3勝する活躍を見せた。
サンデーサイレンスの孫世代の活躍は目を見張るものがあり、2011年には、日本に甚大な被害を引き起こした東日本大震災の15日後に行われたドバイワールドカップにおいて、ヴィクトワールピサ(父ネオユニヴァース)が優勝。2着にトランセンドが入り、日本調教馬によるワンツーフィニッシュで、ドバイの地に日の丸をはためかせ、日本国民を勇気づける結果となった。その後も2014年のドバイデューティフリーをレコードで優勝し、日本競馬史上初となるワールド・ベスト・レースホース・ランキングの1位にランキングされたジャスタウェイ(父ハーツクライ)や、 サンデーサイレンスの孫世代の活躍は目を見張るものがあり、2011年には、日本に甚大な被害を引き起こした東日本大震災の15日後に行われたドバイワールドカップにおいて、ヴィクトワールピサ(父ネオユニヴァース)が優勝。2着にトランセンドが入り、日本調教馬によるワンツーフィニッシュで、ドバイの地に日の丸をはためかせ、日本国民を勇気づける結果となった。その後も2014年のドバイデューティフリーをレコードで優勝し、日本競馬史上初となるワールド・ベスト・レースホース・ランキングの1位にランキングされたジャスタウェイ(父ハーツクライ)や、2016年イスパーン賞を10馬身差で勝ったエイシンヒカリ(父ディープインパクト)、2019年香港マイルを制したアドマイヤマーズ(父ダイワメジャー)などサンデーサイレンスを祖父に持つ馬たちが活躍した。
2016年イスパーン賞を10馬身差で勝ったエイシンヒカリ(父ディープインパクト)、2019年香港マイルを制したアドマイヤマーズ(父ダイワメジャー)などサンデーサイレンスを祖父に持つ馬たちが活躍した。
そして、2021年のブリーダーズカップでは2頭の牝馬が快挙を成し遂げる。ブリーダーズカップディスタフではマルシュロレーヌが、ブリーダーズカップフィリー&メアターフではラヴズオンリーユーが優勝。前者は日本生産馬として初めて北米のダートG1勝利を果たした上に、北米以外の調教馬として初めて同レースを制した。後者はこの年香港でもG1を2勝するなど日本調教馬として初めて海外G1年間3勝を達成し、アメリカの年度表彰であるエクリプス賞において最優秀芝牝馬に選出された。
第6章
海を越えて活躍する
日本血統
日本調教馬が海外で好成績をおさめるのと比例して、日本血統が海外に広がりつつある。特筆すべきなのはやはりディープインパクト産駒である。ディープインパクトは日本において2012年から2022年まで11年連続でリーディングサイヤーとなっているが、海外でも多くのG1優勝馬を輩出。仏ダービーを制したスタディオブマン、英・愛オークスを制したスノーフォール、英2000ギニーを制したサクソンウォリアーなどヨーロッパのクラシック戦線での活躍馬を出している。
ディープインパクトだけにとどまらず、父にサンデーサイレンスを持つハットトリックやディヴァインライトなどの産駒が海外G1を優勝しているほか、オーストラリアにシャトル種牡馬として供用されたモーリスからは、ヒトツやマズがG1を制覇している。
海外で活躍する馬の血統表に、日本馬の名前があることが当たり前になる日も近いのかもしれない。
第7章
今も高く
立ちはだかる壁
もはや世界レベルの強さとなった日本調教馬、そして日本生産馬であるが、今も届かない悲願のレースが存在する。フランスで行われる世界最高峰のレースの一つである凱旋門賞には、1969年のスピードシンボリ以降、昨年まで述べ33頭が挑戦してきたが、1999年のエルコンドルパサー、2010年のナカヤマフェスタ、2012年、2013年のオルフェーヴルの2着が最高である。海外のG1競走の中でも凱旋門賞の名前は広く浸透しているだけに、日本競馬の悲願を果たすとともに、国民的なヒーローとなる優勝馬が現れる日を競馬ファンは待っている。
世界のレース
凱旋門賞ウィークエンドパリロンシャン競馬場
10月1週の日曜日に凱旋門賞が行われ、その前日も含めた2日間で、凱旋門賞を含め8つのG1レースが行われる。凱旋門賞にはこれまで述べ33頭の日本調教馬が挑戦するも、最高着順は1999年エルコンドルパサーと2010年ナカヤマフェスタ、2012年・2013年オルフェーヴルの2着である。
ロイヤルアスコットアスコット競馬場
イギリスの王室主催で6月中旬に5日間かけて8つのG1レースが行われる。2022年、そのうちの一つであるプリンスオブウェールズSに日本ダービー馬シャフリヤールが参戦するも4着。観客にもドレスコードが定められているなど格式の高いスポーツイベントとなっており、例年計30万人ほどの観客が集まる。
ドバイワールドカップデーメイダン競馬場
3月下旬に総賞金1200万アメリカドルを誇るドバイワールドカップをメインとして、5つのG1レースが同日に行われる。国際招待競走であることから世界各国の強豪が集まり、日本からも毎年各レースに有力馬が参戦。2011年のドバイワールドカップでは、ヴィクトワールピサとトランセンドがワンツーフィニッシュを果たしたほか、各レースで良績を残している。
香港国際競走シャティン競馬場
12月の2週頃の日曜日に4つのG1レースが行われる。国際招待競走であり、1年の締めくくりであることから、世界各国から有力馬が集まる。日本調教馬は全てのレースで優勝馬を出しているなど相性が良く、特に香港カップ(G1昇格後)では6勝をあげている。
メルボルンカップフレミントン競馬場
11月の第1火曜日に開催されるオーストラリアで最も有名なレース。「The race that stops a nation(国の動きを止めるレース)」と呼ばれ、レース当日はヴィクトリア州の「祝日」に指定されており、毎年10万人近い観客が競馬場に詰めかける。日本調教馬は2006年にデルタブルースとポップロックがワンツーフィニッシュを果たしている。
ケンタッキーダービーチャーチルダウンズ競馬場
5月の第1土曜日に開催されるアメリカ競馬の3歳牡馬最高峰のレース。「スポーツの中で最も偉大な2分間」とも言われており、アメリカで最も長く開催を続けるスポーツイベントとして記録され、「競馬は知らないがケンタッキーダービーは知っている」と言われるほど、春の国民的行事となっている。日本調教馬はこれまで4頭が参戦するも、6着が最高である。