HISTORY File 009ライバル対決

秋華賞・菊花賞・天皇賞(秋)ライバル対決
秋華賞・菊花賞・天皇賞(秋)ライバル対決

第1章

人々を熱狂させるライバル対決

例えば、MLB(メジャーリーグ・ベースボール)なら、大谷翔平選手とアーロン・ジャッジ選手は「ライバル」と言えるだろう。それぞれが所属するロサンゼルス・ドジャースとニューヨーク・ヤンキースとの対決には、しびれるような緊張感がある。

競馬も同じだ。高いレベルで実力の拮抗したライバル同士の対決には、何物にも代えがたいワクワク感がある。

多くの競馬ファンを熱狂させた、競馬史に残るライバルたちの激戦を振り返りたい。

第2章

タイプの異なる
2頭が歩み寄った
2000m戦
(1997年 第2回 秋華賞)

1997年の牝馬三冠戦線は、タイプの異なる強豪2頭――キョウエイマーチとメジロドーベルのライバル対決に沸いた。

キョウエイマーチは1996年秋の旧3歳新馬戦(阪神ダート1200m)を大差で勝利し、1997年初戦の寒梅賞(京都ダート1400m)を10馬身差で圧勝。さらにエルフィンS、4歳牝馬特別を連勝し、牝馬三冠競走の皮切りとなる桜花賞に駒を進めた。天性のスピードが持ち味で、主戦は松永幹夫騎手。

一方、メジロドーベルは、1996年の旧3歳新馬戦(新潟芝1000m)を制し、4戦3勝で臨んだ同年の阪神3歳牝馬Sも勝利して、旧3歳女王の座についた。1997年の春は、チューリップ賞(3着)を経て桜花賞へ。強烈な末脚が武器で、デビューからラストランまで吉田豊騎手が全て騎乗した。

2頭の初対決となったこの年の桜花賞は、1番人気に支持されたキョウエイマーチが先行して抜け出す強い競馬で優勝。2番人気のメジロドーベルは後方から徐々に進出したものの、2着だった。牝馬三冠2戦目のオークスでも1番人気はキョウエイマーチで、メジロドーベルは2番人気だった。しかし結果は、メジロドーベルが後方から鋭く伸びて快勝。逃げたキョウエイマーチは直線で伸び切れず11着となった。距離適性を武器に、メジロドーベルが桜花賞の雪辱を果たした。

そして、牝馬三冠を締めくくる秋華賞。キョウエイマーチはトライアルのローズS、メジロドーベルは古馬相手のオールカマーとそれぞれ前哨戦を勝ち、3度目の直接対決に臨んできた。1600mの桜花賞と2400mのオークスのちょうど真ん中となる “2000m”という舞台。ファンの支持はこの2頭に集中し、単勝1.7倍の1番人気はメジロドーベル、単勝3.9倍の2番人気はキョウエイマーチとなった。道中、キョウエイマーチは先頭から離れた2番手につけた。メジロドーベルは中団に待機。キョウエイマーチが4コーナーを回りながら先頭に立って直線へ。大外から伸びてきたメジロドーベルがゴール前でキョウエイマーチをかわして優勝。やはり、底力のあるこの2頭が主役だった。

その後メジロドーベルは中長距離路線、キョウエイマーチは短距離路線に進んだため、この秋華賞が最後の直接対決となった。今では距離別の競走体系が整備されており、このような距離適性の異なる馬の直接対決が見られることは少なくなったが、実力が拮抗したライバル対決には手に汗握る高揚感がある。

第3章

一時代を築いた
3頭が初めて揃ったレース
(1976年 第37回 菊花賞)

1970年代の後半、日本の競馬シーンは、同世代の駿馬3頭の頭文字からそう呼ばれた「TTG対決」で熱気が高まっていた。その3頭とは、「天馬」トウショウボーイ、「流星の貴公子」テンポイント、そして、「緑の刺客」グリーングラスであった。

3頭のうち、最も早く頭角を現したのはテンポイントだった。1975年夏の旧3歳新馬戦をレコード勝ちすると、3連勝で阪神3歳Sを圧倒的人気に応えて優勝。旧4歳になると、東上初戦の東京4歳S(現共同通信杯)、続くスプリングSも勝ち、クラシックを前にデビューから5連勝と圧倒的な強さを見せていた。

ほかの2頭、トウショウボーイとグリーングラスは同じレースでデビューした。1976年1月31日、東京芝1400mの旧4歳新馬戦。トウショウボーイが勝ち、グリーングラスは4着だった。

クラシック三冠競走1戦目の皐月賞は、グリーングラスが1勝馬の身で出走できず、制したのはトウショウボーイ、2着はテンポイントだった。

クラシック二冠目の日本ダービーはクライムカイザーが勝ち、1番人気に支持されていたトウショウボーイは2着。2番人気のテンポイントはレース中の骨折もあり7着だった。グリーングラスはトライアルのNHK杯で12着となり出走権を得られておらず、またも出走が叶わなかった。

そして秋。グリーングラスは菊花賞トライアルの京都新聞杯と同じ日に行われた鹿島灘特別で3勝目をマークし、なんとか菊花賞出走にこぎつけた。それにより、第37回菊花賞で「TTG」と呼ばれることになる3頭の初の揃い踏みが実現した。

1番人気は前哨戦の神戸新聞杯と京都新聞杯を連勝したトウショウボーイ、2番人気はダービー馬クライムカイザー、3番人気はテンポイント。グリーングラスは単勝52.5倍の12番人気という伏兵の評価だった。

好スタートを切ったトウショウボーイとテンポイントが序盤から先行した。グリーングラスは好位から中団の内。2周目の3コーナーでトウショウボーイが先頭に立ち、テンポイントはその直後をマークするように進む。直線で外からテンポイントが抜け出しかけたが、馬場の荒れた内から豪快に伸びたグリーングラスが激戦を制した。2着はテンポイント、3着はトウショウボーイと「TTG」が上位を占めた。

この菊花賞を含め、「TTG」が揃ったレースは合計3戦あったが、そのすべてで「TTG」が1着から3着までを独占。さらに、3頭とも別の年に年度代表馬に選出された。激烈な「ライバル対決」を演じた3頭が一時代を築いたのである。

第4章

競馬史に残る頂上決戦
(2008年 第138回 天皇賞(秋))

2007年の3歳世代は、早くから「牝馬が強い」と言われていた。なかでも華々しいパフォーマンスを見せていたのがウオッカとダイワスカーレットだった。

ウオッカは2006年の阪神ジュベナイルフィリーズを制し、2歳女王となった。2007年初戦のエルフィンSも完勝し、ダイワスカーレットと初めての直接対決となるチューリップ賞に臨んだ。

ダイワスカーレットは2006年秋の新馬戦、中京2歳Sと連勝し、3歳初戦のシンザン記念で2着となり、チューリップ賞へ。

チューリップ賞で1番人気に支持されたのはウオッカで、ダイワスカーレットは2番人気。レースは人気どおりに決着した。しかし、2度目の直接対決となった桜花賞ではダイワスカーレットが勝ち、ウオッカは2着。ただそこで終わらないのがウオッカの名牝たる所以で、次走の日本ダービーを3馬身差で快勝し、64年ぶり、史上3頭目の牝馬のダービー馬となる偉業を達成した。

ウオッカとダイワスカーレットによる3度目の直接対決は秋華賞で、ダイワスカーレットが1着、ウオッカは3着。4度目は同年の有馬記念で、ダイワスカーレットが2着、ウオッカが11着と、ダイワスカーレットが勝ち越した。

翌2008年、ウオッカは安田記念でGⅠ3勝目をマークし、秋初戦の毎日王冠で2着となり、天皇賞(秋)へ。ここでまたも7カ月の休養を挟んで参戦してきたダイワスカーレットと激突する。そして再び相まみえた両馬の対決が競馬史に残る「名勝負」となる。

1000m通過58秒7というハイペースで逃げたダイワスカーレットが先頭のまま直線に向いた。安藤勝己騎手のゴーサインを受け、ラスト400mを切ったところで後続を突き放しにかかる。それをつかまえるべく、武豊騎手が乗るウオッカが、馬場の真ん中から末脚を伸ばす。ラスト200m付近で、ウオッカが内のダイワスカーレットを一気に抜き去ろうとした。しかし、ダイワスカーレットが驚異的な粘りを見せ、差はなかなか詰まらない。ウオッカとダイワスカーレットは激しく競り合い、鼻面を揃えてゴールを駆け抜けた。

内のダイワスカーレットか、外のウオッカか。どちらが勝ったのか、肉眼ではまったくわからなかった。それはスロー再生でも同じで、リプレイ映像が流れるたびに場内が沸いた。写真判定を待つ間、ウオッカとダイワスカーレットは担当厩務員に曳かれて検量室前を周回していた。どこからか「ウオッカ!」という声が聞こえ、周辺の関係者は勝者を知った。13分にも及んだ写真判定の結果、ウオッカがほんの僅かに前に出ていた。「ゴールした瞬間レジェンドになった」とも言われたこのレースは、判定を待つ時間も含めて「名勝負」だったと言えよう。

その後GⅠを7勝したウオッカと、GⅠ4勝を含む全12戦で一度も2着を外さなかったダイワスカーレット。2頭の歴史的名牝による最後の直接対決が、この天皇賞(秋)であった。

第5章

ライバル対決は競馬の醍醐味のひとつ

ライバル同士が互いに力を引き出し合うことにより、そのレースのクオリティと迫力が極限まで高められ、より味わい深いものになる。ライバル対決は競馬の醍醐味のひとつでもあるだろう。

この秋も牡牝それぞれの三冠最終戦で、また、古馬GⅠ戦線でも、今後長く語り継がれることになるライバル対決が見られるだろうか。
天高く馬肥ゆる秋の熱戦に期待したい。

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