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- 出生年月日
- 1973年4月15日
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- 父
- テスコボーイ
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- 母
- ソシアルバターフライ
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- 調教師
- 保田隆芳(東京)
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- 競走成績
- 15戦10勝
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- 主な勝鞍
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- 1977年 宝塚記念
- 1976年 有馬記念
- 1976年 皐月賞
圧倒的なスピードと雄大で美しい馬体から「天馬」と呼ばれた
圧倒的なスピードと雄大で美しい馬体から「天馬」と呼ばれたトウショウボーイは、競走馬としてのキャリアのスタートからしてドラマチックだった。
デビュー戦は、旧4歳時の1976年1月31日の新馬戦。トウショウボーイはそこで勝利をおさめた。4着となったのは、のちに菊花賞などを制するグリーングラス、5着は毎日王冠などを勝つ牝馬のシービークイン。トウショウボーイとグリーングラスは、その後同世代の「流星の貴公子」テンポイントと「TTG」を形成し、一世を風靡する。そしてシービークインは後年、繁殖牝馬としてトウショウボーイと交配され、83年の三冠馬ミスターシービーを産むのである。まさに「伝説の新馬戦」であった。
トウショウボーイは4戦4勝で皐月賞を優勝。2着のテンポイントを5馬身突き放す圧勝であった。続く日本ダービーでは当然のように1番人気に支持されるも、クライムカイザーに次ぐ2着で惜敗する。
そして秋。菊花賞では、ライバルのグリーングラス、テンポイントに次ぐ3着に敗れたが、次走、武邦彦元騎手が手綱をとった有馬記念で好位から抜け出し、2着のテンポイントに1馬身半差をつけて優勝。堂々、年度代表馬に選出された。
翌77年宝塚記念でTTG対決を制するなど3勝を挙げ、この年限りで現役を退き、種牡馬となった。種付料と比較して良質の産駒を送り出したため、馬産地で「お助けボーイ」と呼ばれるなど、日本の競馬界全体の発展に貢献しつづけた。
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- 出生年月日
- 1973年4月15日
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- 父
- テスコボーイ
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- 母
- ソシアルバターフライ
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- 調教師
- 保田隆芳(東京)
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- 競走成績
- 15戦10勝
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- 主な勝鞍
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- 1977年 宝塚記念
- 1976年 有馬記念
- 1976年 皐月賞