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ドラマチックなHEROミスターシービー
HERO’s Profile
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- 出生年月日
- 1980年4月7日
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- 父
- トウシヨウボーイ
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- 母
- シービークイン
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- 調教師
- 松山康久 (美浦)
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- 競走成績
- 15戦8勝
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- 主な勝鞍
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- 1983年 菊花賞
- 1983年 日本ダービー
- 1983年 皐月賞
人々の心を惹きつける、きわめて個性的なスーパーホースであった
ミスターシービーの「馬生」は、その出自からしてドラマチックだった。父トウショウボーイと母シービークインは、なんと、同じ新馬戦でデビューしていたのだ。運命的な「出会い」を経て結ばれた2頭の間に、ミスターシービーが誕生したのである。
ミスターシービーは、後方から追い込む競馬で強さを発揮した。1983年の皐月賞は切れ味が削がれる不良馬場となったが、自分の競馬に徹し、後方から差し切り勝利をおさめた。
そして、世代の頂点を決める日本ダービー。出走馬は21頭。多頭数だったこの時代のダービーは、馬群が殺到する1コーナーを10番手以内で回る「ダービーポジション」を取らなければ勝てない、と言われていた。しかし、ミスターシービーは、19~20番手という後方で1コーナーへと入っていく。向正面から徐々に進出し、4コーナーでは4、5番手。最後の直線、ラスト400m付近で外から先頭に立つと、内に切れ込みながら末脚を伸ばし、1馬身3/4差で優勝した。レース序盤は後ろにいてハラハラさせながら、一気に逆転して突き抜ける走りは、自身の出自以上にドラマチックで、多くのファンを虜にした。
菊花賞では春二冠のレースからは一転、常識を覆す早めの仕掛けで観衆をまたもや驚かせ、史上三頭目のクラシック三冠馬となった。人々の心を惹きつけずにはおかない、きわめて個性的なスーパーホースであった。
HERO’s Profile
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- 出生年月日
- 1980年4月7日
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- 父
- トウシヨウボーイ
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- 母
- シービークイン
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- 調教師
- 松山康久 (美浦)
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- 競走成績
- 15戦8勝
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- 主な勝鞍
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- 1983年 菊花賞
- 1983年 日本ダービー
- 1983年 皐月賞